消費という労働 [思考・志向・試行]

台風がせまりつつある中、消費における労働を考えてみた。

ついに10%に消費税が上がった。これで、また一歩国民全体の満足度が下がったわけだが、
国会議員はどこ吹く風である。それもそのはず、関電の話だけみても、国の金を動かすたびに
政治家にキックバックがあるような社会なのだから、愚昧な制作が続くというものだ。
要するに悪いやつ(賄賂をよこすような)所に金を回すという事になる。それで政策が
まともになるとは到底思えないのだろう。

さて、10%になったのだが、現状維持税制というものがあって、食品などは据え置きの8%で、
残りはおおよそ10%になる。これがまたややこしいのだが、キャッスレス決済ならば、5%や
2%引きになるという制度もまた存在する。このような非常にややこしい仕組みに政府は
首をつっこんだわけだ。それは、自分たちの仕事を増やすことでもある。アリバイ作りがますます
巧妙になってきた。そして、これらシステムを作り、維持する人々の仕事作りでもある。また
その仕事を管理するための特殊法人など官僚たちの仕事づくりでもある。要は国民のために
便利しようなどという意識は毛頭なく、ただひたすらに自分たちが良ければそれで良いという
アホらしい状況が続いているわけだ。

さて、こうなると、どういう風に購入するのがよいか。基本的には、消費者としては
キャッスレス決済で済ますのが得になる。これはカード会社に国の金を流すという意味でもある。
一部のカード会社に税金を横流しするシステムがこのキャッスレス決済である。そして、国民を
その共犯者に仕立てようというのがこの制度だ。

また、電子化された売買からは、税金の徴収がしやすくなる。ログが必然的に残るからだ。
こうして、何を国民が買い、消費したのかを国がいざとなればチェックできる体制になった。
国民はただ便利とか、そういう目先の利益のために、国が流布する決済手段を使い始める。

これは強制力を持つ。国の方針なので、現金が徐々に使いにくくなるに違いない。
こうして、金融業の仕事も楽になる上に、それら決済システム維持のために、金を徴収できる。
いよいよ、預金に手数料を求め始めるはずだ。

国民の資産を、引っ剥がし、その資産を国が、特定企業、特定業界に横流しする。政治家は
そこからキックバックをもらい、官僚は天下りを維持し、企業は仕事つまり金を確保できる。
こういう既得権益の癒着システムが、もっか全精力で作り上げられている。この政策をなんと
よぶのか。「規制緩和」である。

はて、私は日本語がおかしくなったのか?と疑問に思う。政府がいう「規制緩和」とは本来、
企業間の競争を生み出し、生産効率を上げて、無駄なものを排除することではなかったのか?
でも、竹中平蔵らが生み出したシステムは、ひたすらに中間業者を民間という形で作り出し、
税金や、労働者の賃金をピンはねするものであった。それが日本では「規制緩和」と呼ばれる。
むしろ、規制緩和というより、民間業者の締め出しであり、規制緩和前よりも、ゴリゴリの
利権社会になったというわけだ。 この仕組に乗っかるほうが、儲かる。それが現在、安倍を
支持する唯一の意味だろう。バカな人間をうまく使っていると思い込んでいるオヤジたちは、
そのうちに、国自体が立ち行かなくなることをまるでわかっていない。

いまの時点で1億あろうが、10年後、20年後に、その価値をもっているかどうかが
甚だ疑わしいという事実に目を向けるべきだろう。それをよくわかっている財界や政府関係者
たちは、稼いだ金を海外へと移している。要するに、日本を搾取しているというわけだ。
それを頭がいいという人たちもいるだろうが、これこそが売国奴であろう。

よって、日本を愛し、日本を素晴らしい国にしたいというのなら、現状の政治にはNOを、
そして、現状の社会制度にNOを言わざるを得ない。いまのままでは、国民の生活はますます
疲弊し、苦しんで生きることになる。それはドレイと呼ぶものに更に近づくというわけだ。

社会制度において、年金を当てにできるとは思えない。とりわけ若者はおおよそ、払うだけ
損ではないかと危惧される。その制度の崩壊がいつなのかが見えないために、現状では
払い続けるほかないのかもしれない。

江戸や明治など、歴史をしれば、税制がそもそも的に変わるという事が世の中にはあり得る
ということが分かる。現在の日本人はそれを全く忘れてしまった。そもそも日本人が勤勉で
とかいうのも昔の資料をみれば嘘だと分かる。それは、戦争中のプロパガンダに過ぎない。

残念だが、今の政治家たちは、まだ戦争を戦っている。そういう風にしか考えられない
可愛そうな人たちだ。サラリーマンだって、どこか物量がものをいうふうに考えているし、
相変わらず自分たちを、企業戦士だと思っている。仕事で日本に貢献した気になっている。
申し訳ないがあなた達の仕事の大部分は無駄である。無意味である。引導を渡しておく。

意味のある仕事とは、将来において価値を生み出すものだ。そういう仕事をどれほどの人が
やっているというのか。ただ、消費するために金を稼いでいるだけではないか。私には
そうみえる。決して豊かさではない。豊かさとは、ゆっくりと仲の良い友人たちとご飯を
ともにしたり、景色の良い場所を散歩したり、明日に対して不安なく過ごせることを指す。
果たして、企業戦士はこれができるだろうか?否。まるで真逆ではないか。日々、仕事に
忙殺され、たまの暇は家族サービスにあけくれ、旅行など年に二度、夏と冬だ。それも
帰省ついでだったりする。そんな風にして仕事をした所で、豊かさには無関係である。

金はさほど要らない。それが豊かさである。むしろ時間が必要なのだ。子育てをするにも、
ご飯を手間をかけて作るのも、時間がなければ何も出来ないのである。

さて、本題に戻ろう。悪どい政治家や経団連の連中らによって、庶民は振り回されている。
消費税現状維持のために、消費者は決済手段を考える必要性が出てきた。つまり労働である。
消費するために、いちいち頭を悩ませる。どこで、どの決済方法で、どういう店で買えば、
節約できるのかと。

賢い消費者という、わけのわからないジャンルが出来上がったわけだ。
本来消費とは、レジャーだったはず。ところが、昨今は複雑怪奇化した購入手段により、
消費自体がひとつの労働になった。これが本題である。

労働なので、効率よくしたい。そこで、政府にのっかってキャッスレスを導入するとしよう。
キャッスレスには問題点がいくつもある。例えば、使いすぎを防げない。クレジットカードは
信用買である。そのため、決済はすぐではない。よって、使いすぎる可能がある。これは
大きな落とし穴である。次に、ログが残ることだ。政府はいざとなれば、個人情報より、
購買の内容を確認できる。完全なプライバシーの侵害であるが、およそこれは許容されている。
法的にはされていないが、そんなもの、国は簡単に破るのだ。事実、ログが残るシステムは、
政府に検閲される可能性がある。

図書館で借りた本のログなどを警察が調べる。すでにこれは起こったことだ。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1901/24/news080.html

つまり、事実上、キャッスレス決済の内容は全てみられてしまうと思ったほうがいい。
それでも大丈夫という人が積極的に使うべきである。これは規約に記されていることだ。
要するに、国家は権力をつかいさえすれば、いつでもこじ開けてくるという事なのだ。

また、キャッスレス決済のための手段は必ずしもカードではない。いま一大キャンペーンを
行っている認証タイプの決済手段(PayPayなど)は、税金が投入されているために、
割引を行っている。つまり、国による財のばら撒きである。それを一部の人間達だけに
融通するというのは本来的に、税の使用目的から外れている。これらを用いない人々には
ただ、税負担が増えるだけだからだ。大義名分などありはしない。この制度は歪んでいる。

同じことは商品券にもいえる。預貯金がないような世帯では地方が出す商品券を買うことは
出来ない。これもまた、税金の歪んだ使い方である。そして、このような情報を与えられて
いない人たちは、ただ知らないがために、損をする事になる。極めて歪んだ仕組みである。


そのため、庶民が賢く振る舞う事が大事だと喧伝する。これがまた利権がからむわけだ。
消費者が賢くなるためには、情報を収集して、判断を下す必要がある。それはコストが
かかる。時間や金をかけて、国がややこしくした税制や、購買行為の中身をしり、それを
実際にこなさなければならないからだ。

これは明らかに、労働である。問題は、この労働は対価がないことだ。
知らないと損する、知らないと不利になる。そういう制度こそが問題なのだが、
それを棚に上げ、そうしなかった人々の責任化のようにいう。このような制度は根本が
腐っている。

消費はかつては感情のやり取りでもあった。近所の八百屋にいけばいつものおじさんが、
野菜を売っている。目利きである八百屋が仕入れた美味しい野菜を、会話をしながら買う。
これが消費の良さであった。そして、そこには温かい感情があった。いまも、そういう
地域はあるだろう。しかし、ややこしい決済手段の導入などにより、人々の消費が貧弱
になった。人々は、儲けが減っているこの状況下では、スーパーより高いけど、おいしい
野菜を買う余裕はない。大量に作られた農薬を多分に含むような安い野菜を、セルフレジで
決済するのが、せいぜいなのだ。そしてそれを「賢い」と思わされている。

どうして、そんな行為が賢いものか。まずいものを買わされている事実はどうか?
体に悪いものを買わされているのはどうか? 何も考えてないのだろう。賢い消費者とは
同等のものを一銭でも安く買うことなのか? 消費とはもっと楽しいものではないのか?

金をもうけて何をするという小話がある。のんびり過ごすのさという落ちは有名だが、
結局、金が目的ではないのは確かである。

もう、これ以上言わなくても分かるだろう。そう、国に振り回されるなという事だ。
そして、金はもっと有意義に使えということである。ただ、それだけで十分に
我々はリッチに暮らせる。

問題は、国に振り回された国民ばかりになった結果、豊かさを与えてくれる「八百屋」たちが
絶滅しかかっている事であろう。消費という労働にあくせくするのは勝手なのだが、
いよいよ首が回らなくなってきた。私はそう思ってしまうのだ。
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