自衛その①:資産を守る [雑学]

コロナ禍は残念ながら夢ではなく、現実だ。
そして、多くの人が今まで通りの仕事を維持しようとして頑張っている。

だが、飲食業を始めとして、人出が必要な産業はことごとくピンチになっている。
そして、それはもはやピンチというようなものではなく、破滅という道に到達しつつある。

芸術を始めとする文化活動が影響を受け、停滞し廃業する可能性もある。
近所の小売店はいよいよアウトで店をたたむかもしれない。
そうやって、経済圏が狭くなると、大手が価格決定権を強くし、ますますインフレが
加速するだろう。簡単に言えば、日々の生活が大変になるということだ。

これを指を加えているのが今の日本国民である。
自分は自分で頑張っているからと、自分を善人として扱い、小さなルールから
逸脱する人間をバッシングするというスケールの小さい所で争いを起こす一方で、
もっと大きな市や県や国と行政に対して批判することをしない。だから本質的な
解決は行われず、ならばと行政を仕切る人間たちは、自分たちに都合の良いように
税金を利用していく。

あなたの生活がこれから大変になるけれど、その責務の一旦は、政治に無関心な
あなた方にある。それはまずは忘れてはいけない。自分たちに都合のよい政策をする
人間を選ばないから、そういう目にあうのだから。国や県が何もしてくれないと思うなら、
何もしてくれないような長を選んだ自分をまずは責めるべきである。もっといえば、
全く選挙にいかない自分の自己責任である。これは仕組み上、絶えずかかる個人への責務である。

一方で、社会構造上、資本主義的な社会が運営されるという事と、人間が相変わらず
利己的であるという事が合わされば、必然的に政治は腐敗し、全体のためというより、
個人的に権力を振り回す輩が現れ、その彼らに阿る人間たちが群れをなすのは必然である。

自らが従属状態にある事に気がついた、このブログの読者はこの限りではない。
よって、ここから自衛のための方法論を考えたい。また、これから何が起こり得るのかに
ついても考慮したい。

今、マイナンバーカードの普及率は20%にも満たない。
政府はこれをなんとしても、普及させたい上に、そこの銀行座をタグ付けする事を義務化を
目指している(もしかするとすでに義務化されたか?)。遅かれ早かれ、この方向性は
強化されていくことだろう。例えば、マイナンバーカードを使わなければ税金を払えない
仕組みするなどである。強制化のはてに何があるか。それは国に依る国民の資産把握である。

かつて、大きな大名が土地を新しく与えられると真っ先に、検地が行われた。それは、
税金を収める能力を確かめるためである。そうしておいて、なるべく確実に年貢を取り立てる
ということだ。

マイナンバーカードと銀行口座とのタグ付は、同じ意味を持つ。令和における検地なのだ。
ゆくゆくは、ただの検地ではなくなる。ハイパーインフレが起こると、最終的にはデノミが
行われる。その際に、個人の資産が差し押さえられて、新しい通貨を割り当てられるだろう。
こうして、資産を実質的に取り上げられるという可能性がある。

現段階では、ただの妄想である。だが、現状の1000兆円を超えるような国債を誰が
どう返すというのだろう? 最後は負債を抹消するはずである。その際に国民資産を
召し上げるということは十分に起こり得る事だ。

デフォルトのような事が起これば、まっさきに銀行口座は閉まる。国に依る口座管理が
行われる。我々はその時に、何ができるというのか。おそらく、何もできやしまい。
ただ、ただ、資産を奪われるのみである。国とはそういう存在である事は忘れてはならない。

そんな事あるわけがない? 日本だって預金封鎖は行っている。戦後の1945年の12月に
実行されている。要するに、政府はいざとなったら、それくらいの国権を発動するという
事である。

また、今、しきりに国債を個人や企業に買わせようという動きがある。
なんで国を上げて国の借金を買うという事をさせてるのか。むろん、利率が良いというのが
謳い文句ではあるが、そもそもそれを自由に売り買いできる権利はこちらにはない。
国は、国民の貯金を市場に引きずり出したいのである。そして、できることなら、召し上げたまま
消滅させたいのだ。3年、5年、10年などの商品がある。いざがいつ起こるのかは不明だ。
だが、それが起これば、これらは紙切れになる。

そもそも金とは、債権であるとはもう散々解説した。
債権ということは誰か他者がそれを欲しがる事でしか価値を担保できない。
そして、その価値とは経済ががたつけばあっという間に暴落する。

それを化け物にしたような株(NISA)や国債(まさに債権)に資金を変換する理由は、
そこについてくる利殖だろう。うまくやる人は良いが、国がポシャれば、騙されたという
事になろう。それは賭けである。

コロナ禍において、何が起こるのか。それは経済不振である。経済不振ということは、
国という組織の不安定化である。それなのに、金や、金融商品を頼りにするというのは
そもそもが間違えである。

資産を守りたいならば、もっと現物的なものに変換する他無い。
似ても食えないけれど、銀行券よりも安全なのは金属だろう。金や銀を資産にするのは
悪くない手である。それでも資産をまもれるのかは不明だが、およそ現金や株よりマシだろう。

他には、所有権である。国という単位が傾いた時に、土地所有などがどうなるのかは
定かではないが、人のマインドはそうは変わらない。よって資産をそれ相応の土地など
有形資産に変換しておく事は意味があるかもしれない。

もっといえば体験や知識に変換するという手もある。いざとなれば貯金が差し押さえられ、
土地なども召し上げられるかもしれない。けれど、体験や知識は奪い取られることはない。
ならば、資産を使って、素晴らしい体験や知識を得る事に使うというのは一種のリスクヘッジだ。

体験は人生を豊かにしてくれる。そして知識は新しい生産物を作り出す時に役立つ。
いや、本当の知識とは生活そのものを豊かにしてくれるのだ。

そのためには時間を使うことである。まだ多くの人は感じていないかもしれないが、
自分が自由に使える時間が存在するという人がもっともリッチな時代が来る。私はそう
信じている。

現代社会は金がなければ生きられない。それは日本という国に生まれた悲劇である。
だが、朝から晩まで週5日間を労働に費やさなければならない理由はない。それを
仕方がないというのは、ただの怠慢である。金のかからない生活は見つけられるし、
それでも、かつて程、大変でもない。

ならば、持つべきは自由な時間ではないか。そういう価値観になっていくのが
これからの方向性なのだと私は思う。


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