思想的サンタ [思考・志向・試行]

戦争の動機はなんだろうか。

チンパンジーでも戦争は行われる。その動機はもっぱらリソースである。
リソースとは、生存に必要な資源こととしよう。すると、ここには様々なものが含まれる。
第一は、なによりカネだろう。次に、所有物だ。そして最後は人的資源である。
所有物の中に人的資源を含めてもいいのかもしれないが、ここで一端分けておく。

つまり、戦争の攻める動機とは、リソースの略奪である。
生物学的にみれば、それはつねに正しい。だが、一個人からみれば、満足なるものが存在する。
生物は一定量を満たせば、それ以上は動かないものだ。逆説的に、行動を促すためには不足を
意識させればいい。

資本主義は常に「お前にはこれが足りない」と訴える事で、その社会制度を維持してきた。
そして、基本的に無尽蔵にリソース確保を目指すというのがこの制度の根幹である。その背後には
本来的に、プロテスタント的教義が隠されており、勤勉に禁欲的に働くこと=神の御心という
考えだ。最後の審判時に天国にいくには、神が肯定する行動をとるべきであるという信念がある。

ところが、我々日本人には、このような文化エートスがない。我々日本人のエートスは、
「恨みをはらせ」である。薄暗いこの思想はずっと日本を覆い尽くしてきた。状況が良いときには
隠れ、状況が悪くなると顕在化してくる。日本人にとって、恨みをはらすというのは、ごく日常的
思考である。この恨みを晴らすが、資本主義と接続する。ミクロの行為主体の思想と、マクロの
社会制度にはなんのつながりもないのだが、なぜか恨みを晴らすという行為が、勤勉性に拍車をかけた。

なんの恨みを晴らすのか。近年ではもっぱら敗戦という恨みである。我が子を殺された人々。
残された人々。彼らの積年の怒りや悲しみは、強烈なパワーをもって「戦争」へと向かった。
戦後の復興という思想は、明らかに敗戦がもたらしたものである。良くも悪くも、欧米の手法を
取り入れ、それによって彼らをも凌駕しようという思想である。よって、資本主義もなすがままに
受け入れた。もちろん実態は違う。

日本には、ほんらい資本主義的な発想は根付かない。その理由はすでに述べたようにキリスト圏
ではないために、資本主義を維持する動機が個々人にないからだ。むしろ恨みをはらすために、
日本は戦後、「共産・社会主義的資本主義」を採用した。政府が計画的に社会資源を一部の産業に
集中的に投下し、民間のちからを使ってカネを回したわけだ。今の中国のようなものと言えるだろう。
彼らは「資本主義的共産主義」である。社会のベースをどこに置くかの違いだ。

この思想は、ミクロでみれば安定的な給与体系となって現れる。終身雇用や年功序列は、
まさに共産主義的な発想そのものだ。経験に応じて給与があがるのは、やる気を生み出すためで
あり、組織への従属をもとめる事である。その結果として、組織へのロイヤルティがまし、それが
組織の強みとなって生産性をあげていた。

一方で、誰が彼らにカネを払ってきたのか。それはトドのつまり、消費者である。
フォードの例をあげるまでもなく、安定的な商売の裏側には安定的な需要が必要であった。
では需要とはなにか。それは人である。そして欲望である。需要は人の数と欲望の強さに
正比例する。

話が戻ってきた。日本は本来的に、恨みを晴らすというエートスで、戦後を過ごしてきた。
子供を大量につくり、多くの人間が生産現場に駆り出された。それは経済という武器で恨みを
晴らすためである。そういう雰囲気を過ごしたのだ。ところが1970年代にはそれは終焉を迎える。
人を増やしても、生産性があがるわけではないからだ。そして、ものが溢れ出す。輸出しても、
ニーズがなければ売れない。日本は欧米に追いつくという動機だけで、資本主義的な制度を
肯定し、それがために、農民たちは田畑を市街地に作り変え、専業農家をやめた。会社員として、
生きる人間を増やしたのだった。それは、カネがそこに回っていたからだ。

だが、需要が過多になった時、人々は買えなくなる。一部の人間を除けば、買いたくても
買えない。また、人の維持に負担がかかる仕組みを生み出した。社会が大卒を高く買うために、
人々が大卒という肩書を得ようと必死になる。過度な競争が生み出された。明確な学歴社会
である。巻き込まれた人々は学歴に右往左往する。子どもたちの一部は競争を勝ち抜き、
一部は疲弊した。また、そこには教育への投資が存在する。もともとカネを得ていて家庭から
学歴を維持しやすい人々がうまれ、公平さは徐々に失われていく。それに応じて、買える人と
買えない人に社会が分裂化していく。

人口増加状態にあったとき、カネは増え、需要がます。だから供給がうまれ、ますます
需要がまし、人口も増加していく。だが、社会の生産と人口増加が拮抗したとき、この
ループは終焉を迎える。終焉を迎える直前・直後でも、人々は夢を見続ける。それがバブル
崩壊後の日本である。当時に作られた社会諸制度が未だに維持されているために、ますます
日本社会は疲弊した。若者が一番あおりをくらう。受験によって選別された子どもたち。
そのバトルロワイヤル的思想の蔓延は、優しい子を傷つけ、サイコパス的人格を増長する。
引きこもりの一部は、旧来もっとも人間らしい人々であった。

こうして社会が非人道的傾向をもつに至ると、社会の需要状況も変化する。買いたくとも
買えない人々が大量に発生する一方で、消費しきれない金を無駄に使う人達が現れる。
それが学歴に依存しなくなりつつある。すると、子どもたちは学校への帰属を失っていく。
それが個人主義になるならまだしも、集団とも個人ともいえない宙ぶらりんな存在へと
子供たちは追いやられた。その時に頼りになるのは、ネットだけなのだろう。ネットに
あふれる罵詈雑言に自分の所属性を求めるようになる。

一方で、賢い子どもたちも生まれる。社会が混乱している一方で、情報にふれる機会だけは
増加した。まともな感情教育を受けている子たちは減ったが、その一部は確実に自分の能力を
伸ばしている。間違えなく、これからの時代はそういう子どもたちのものになるだろう。

親世代は、あまりにも高くなった物価の前に、為すすべもなく、ただ家のローンを返すこと
のみの存在となった。とりわけ男親はそうであろう。会社が儲けを出す理由をしらぬ人々の群れ。
会社の儲けとは、人々が借金をする事で生まれる。需要とは人の数x欲望の強さだ。その欲望が
借金を生み出す。家を買うというのは欲望である。欲望を満たすために、人々は借金をした。
その金が、めぐって企業の賃金となる。よって、賃金を増やすためには、人々が借金をする
ほか無い。

社会構造上、トライアングルの底辺は賃金抑制となる。何も努力をしなければ、安い労働力に
しかならない。むろん、金持ちの子は別だ。後継という手がある。だが、都市空間に放り出された
会社員の息子娘には、学歴というのは大いなるプレッシャーである。努力して初めて普通になれる。
そういう幻想を抱かされた。本来的にいえば、こんなもの普通でもなんでもない。だが、社会は
それとなく、普通を要求する。年寄りはそんな努力などしてないのにも関わらずだ。大人はずるい
のである。しかし、社会がそういう動機で動くのであれば、人々は否応なくそれに従う。

上位のものが金をがめるようになった。それは社会制度をそのように変更したためだ。
自民党のせいである。上位のものが金をせしめるならば、下部のものにカネは回らない。
大多数の人々の需要によって、支えられている内需は、この仕組によって崩壊した。大事なので
もう一度いう、資本主義社会とは、資本家によって労働を搾取する仕組みである。それを強固
にしたのが自民党で、自民党は資本主義に魂を売った。そうして、自分たちの懐に使い切れない
だけのカネを残すようにした。これが内部留保であり、タックスヘイブンである。我々には
見えない形でカネを退蔵し続けている。

誰かが自分の持ち家のためにローンを組む。すると金が信用創造で作り出される。その金が
銀行から投資へ使われる。投資先からの返金と利子によって銀行は利益をあげ、その金の中身は
誰かの借金で賄われる。つまり、借金によって生み出されたカネは絶対的に誰かの借金によって
しか補填されない。そして、利子によりカネは絶対に返せない。誰かがカネ的に破滅する。これが
資本主義の本質である。誰かの犠牲によって金が回っている。今もかつてもだ。

ベビーブームで人が増えていたときは、金が次から次に作られていたために、一見すると回っていた。
だが、いまや社会的諸制度の成約によって、人が増えなくなった。結果として、金が回らない。
金が回らないのに、上位層が金をがめるために、ますます庶民に金が回らない。庶民はカネがない
ので、子供を作らない。人がいなくなる。人がいなくなれば、借金する人が減り、カネは生み出され
ない。よって、社会全体は需要低下をまねき、供給過多になる。GDPは減り、税収が減る。

ここ20年の日本は、こうやって停滞した。なぜ今だに、日本が持っているかのように見えるのか。
先程のべたが、既にこの仕組は崩壊した。過去形である。崩壊したシステムが一見すると大丈夫に
みえるのは、惰性が働いているからだ。正直に言えば、今の子供達はこの崩壊の結果をまともに
くらう残念な世代となる。日本が復活するのはその後だろう。50年はかかるに違いない。
ま、それはともかく、現代の日本では、個人が借金をする代わりに国が借金をしているから、
なんとか保っているようにみえるのだ。

国の借金は、国債となって金融機関にカネとなって流れる。その金に群がるのは大企業などだ。
金融業も群がる。GPIFやJREATなど多額の金を動かすのは国である。日銀である。そうして
株価を高くするように演出し、日々、日本の企業は国営化が進む。この仕組のトップは政府だ。
結局、安倍批判が少ないのは、利権的に安倍にいてもらい、彼らからおこぼれがほしい企業が
わんさといるからに過ぎない。国の仕事をもらいたい人々が安倍に群がる図式である。ここに
暴力団などの組織も絡んでくる。

儲からない企業は、固定費をさげようとする。つまり人々の賃金だ。年功序列をやめるという
のははっきりいって愚策である。だが、若者には溜飲がさがるかもしれない。若者は総じてバカ
なので、使えない上司の給与が下がる事を喜ぶ。だが、それはいつかの自分である。彼らの給与の
低下は自分たちの給与の低下なのだが、それが理解できないために、年功序列に反対する。愚か
である。一方で、年功序列にしがみつく生産性の低い人材も多い。とはいえ、人間的な仕組みから
いえば、50代が20代と同じ能力を発揮することはできない。そもそも、現行の労働対価の制度は
おかしいといえばおかしいのだ。働き盛りの30代40代の対価を最大化して、50代60代は下げる
べきである。そういう形の給与体系じゃなければ、本来的に成り立たない。

ともあれ、儲からない企業は正社員をへらし、機械化し、非正規を増やす。仕事をコモディティ化
する。結果として、サービスは適当な形で推移し続ける。悪くはないが良くもない。といった具合だ。
そうして、ケチった給与は、需要を減らし、企業は儲からなくなる。なぜなら、潜在的な需要は
従業員の給与だからだ。

従業員への給与を減らして、売上を確保するということは、資本家のためにはなるが、
それ以上でも以下でもない。そうやって退蔵する金を増やす事に日々貢献するのが経営者である。
社会から金を減らす。そうしておいて儲からないとわめく。仕方がないから、安倍政権におもねり、
企業献金をして、仕事を融通してもらう。国の借金が減らないのはそういうことだ。そして、
政権は、献金ほしさに大企業を優遇する。法人税を下げて、消費税を増やす。結果さらに景気は
悪化する。大企業はますます国に依存する。

依存する人間は醜悪である。結局、その内部にいる大企業の人間たちは共犯である。
ましてや、その下に連なる下請けだって、共犯である。その構造体にいることが、自分の首を
締めている。

こんな事をしてきたのが自民党である。愚か過ぎて何もいうことはない。

このとばっちりは、国の借金をチャラにするところで起こる。
現段階では、インフレが起こっていない。その理由は端的に市場に出回る金がすくないからだろう。
企業の活動は、総じて見れば、資本家に金をあげるという行動である。そして庶民から金を
巻き上げるという活動である。それに労働者は関わる。労働者が頑張るほど、自分の利益を資本家
に譲渡する。これが資本主義の世界である。実にアホらしい気がする。

言っておくが、企業におけるキャリアとか、成長とか、評価なんてクソみたいなものだ。
ちまたに溢れる自己啓発本は大抵、クソみたいなアドバイスしかしない。それは要は
「使いやすい人材たれ」ってことだけだ。能力が高く従順な人間でいろと。そして、大きな物事には
無関心で、目の前のニンジンを必死におうだけの人間でいろと。

酒と煙草と、性的欲求で男を操るってことだ。金があっても、大事なものは買えない。
大事なものは時間で賄うものだ。時間以外に満足を与えるものはない。

日本の構造は国が借金する度に、多くを労働者から貪る仕組みなのだ。
なぜ安倍支持なのか。それは目先の利益だけが問題となる経営者たちがいるからである。
仕事がなくなっては、困るというただそれだけのことで、支持している。
なにしろ、民主党の時代に驚いたのだから。本当に小さな政府を実行しようとしたら、
皆国にしがみついたという顛末があの政権交代だった。アホらしいのである。

石井紘基氏は、ソ連が80年代にすでに崩壊すると予言した。そしてまるで
同じ構造の日本も危険であると警告した。私もそれに賛同する。

超高齢社会である日本は若者から金を奪い年寄の回している。そうまでして
年寄り優遇の社会を築いておいて、子供が生まれないと主張するオヤジたちは何も
わかっていない愚か者たちだ。はっきりいえば、今売れてきた子どもたちは、今すぐに
日本を離れる準備をしたほうがいい。残念だが、これからの日本は荒れ狂う時代になる。
その時、欧米などに避難できる人々としての能力を身につけるしかない。

社会の理屈は単純である。経済新聞など読まなくてもわかる。むしろ、あんなものを
読むと、特定の主義に洗脳されてしまう事だろう。

だいぶ話がそれてしまった。そう人の欲望はどこからくるのか。
生物学的な欲望を満たすためにリソースを確保しようとする。だから、争いが発生する。
そしてその争いを煽る手段は、2つだ。一つはリソースを得るため、もう一つは恐怖の対処
である。恐れは、人を駆動する。

社会が荒れてくると、人々はその欲望を顕にする。そして、その欲望によって争いを起こす。

国内が停滞すると、それが自分たちの行動つまり、日々の仕事に問題を見出すのではなく、
どこかに悪者を想定する。愚かな人々はそうやって、他人のせいにする。自分たちの仕事が
問題であるのに、それを他者のせいにすることで、自分を守るのである。それは不安解消だ。
誰かを責めていれば、自分は大丈夫だと思うからだろう。もちろん、駄目な行動だ。

戦争の動機はどうやらここにある。自分たちは悪くない。でも、状況は悪い。この認識に
おいて、何かを解消しようとするならば、はけ口を見つけるのは容易い。こうして、ヘイトが
増え、その憎悪表現に感化されるもの、反発するものにより、社会は荒れていく。

世の暇なオヤジたちは、すぐに国という単位でものごとを語る。バカバカしい。
今の時代は、我々は地球人であって、国とは県みたいなものだ。県の間になぜ戦争がおきないのか。
それは、県をこえた思想に生きているからだろう。これからの人間は同様に、国を超えて地球を
想定して生きるほか無い。それは理想論ではなく、必然的な流れである。それができないのは
老人であるという証拠である。

日本の人口は、老人が多い。だから、国単位でものを語るバカが多い。それは安倍政権も同様だ。
だが、そこのぶら下がる人々はもっと酷い。何も考えていないから、儲かるかどうかだけで、
行動を決める。このゲームほど馬鹿げたものはない。なぜなら、その行動すべてが、結局、
奴隷になることだからだ。自ら奴隷を選び、奴隷として生きる。くだらないではないか。

社会構造は人の振る舞いを変える。社会変革とは、結局、金の流れを変えることだ。
現状では。思想ではない。如何に金の流れをかえるか、それが現代の革命である。
今は、資本家に金が流れる仕組みである。それは金というものを人々が信用する限りにおいて、
今の制度を肯定する限りにおいて、必ずそうなる。そして、人々の生活は絶対的に疲弊する。
今の日本の現状は、社会システムによる必然と言える。別段、誰かの思い込みなどで変わる
わけではない。社会制度の変更こそが、人々の振る舞いを変えるわけだ。

ここに昨今の前兆がある。FANGAは、テックによる社会変革を望んだ。むろん、うまくいっていない。
なぜなら、根幹である中央銀行による紙幣発行という仕組みを崩せずにいるからだ。ビットコインなど
仮想通貨がこれを覆せるかどうか。それによって、我々の社会生活が変わる。信用創造できない
仮想通貨は、現行の仕組みをまるで変えることになる。それがメジャーになったらだが。一方で、
信用創造する仕組みをもつシステムが存続するなら、現行のままの制度が維持されるだろう。

とはいえ、FANGAによる人々の行動振る舞いは、かなり影響を受けた。
メールにしても、ラインにしても、Facebookにしても、twitterにしても、生活にかなり
入り込んだ。こうして行動が変わる事で、金の動きが変わる。金の動きが変わると我々の
生活スタイルが変わるのだ。我々はその過渡期にいる。

ともあれ、私は既存の企業において一生懸命に働くという事が、社会的に肯定されるべきこと
ではないと断定する。むしろ、如何に手を抜いて企業から金をせしめて、その金で生活を充実
させるか、自分の時間を確保するか。それこそが、人生の主目的であるといいたい。

もう少し肯定的にいえば、企業を利用して、人間的な価値を生み出す事。それが大事である。
資本家を儲けさせるために、利潤発生のため自分の力を使うというのは、およそ愚昧である。
労働者は、他の労働者の生活を豊かにするために行動すべきなのだ。そうでないと思われる
仕事はすべからく悪である。そして、そのとき、自分もまた幸福を追求すべきなのだ。
自己犠牲の上の幸福など、存在し得ない。

今日は12月24日。上記をもって、私の贈り物としよう。
マトモな人は、ぜひ、自分の仕事をご一考して頂きたい。そして、来年も良い社会になるよう
務めてほしいのだ。
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Met

お久しぶりです。独特の切り口でやはり面白いですね。暗号通貨のコミュニティには経済論や社会論を語る若者もたくさんいます。Twitterなどでもかなり歓迎されると思いますので、ぜひ一度見にきてみて下さい。私のURLを貼ります。
by Met (2020-02-21 08:03) 

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